毎朝5時に起きて10㎞走る漢。チームNo.1アスリートのやるか、めっちゃやるか精神はいかにして培われたのか。

愛知県瀬戸市を拠点に活動する世界一情熱的なラグビーチームGpassioners。濱名さんは2022年6月からチームにジョイン。フィットネストレーニングではチームNo.1の走力。圧倒的なフィジカルでチームを引っ張る。そんな彼は毎朝5時に起きて日課の10㎞のランニングを終え仕事に向かう。「朝にトレーニングを行うと心身共にすっきりしてポジティブな気持ちで一日が過ごせる」飄々とした表情で語ってくれた。今回は「やるか、めっちゃやるか」を体現する濱名さんにその原点となる出来事やこれからの展望を伺った。(インタビュアー:岡田淳)

Q.さっそくお話を伺いたいのですが、ラグビーはいつ始めたんですか?

 

A.高校からラグビーを始めました。当時自宅から一番近かった富山第一高校に進学しました。中学まではテニス部に所属していましたが、自分にはあまり向いていないなと思いながらプレーすることもありました。入学当初はなんとなくテニスを続けようかなと思っていました。体格が大きかったこともあり、ラグビー部の監督や先輩に誘ってもらいました。ラグビーやアメフトといったコンタクトスポーツへの憧れはありましたが、富山第一高校が県内でラグビー強豪校(通算全国高校ラグビー選手権出場13回・2022年時点)だったこともあり、いざ自分がやるとなると不安な気持ちと楽しみな気持ちだったことを覚えています。

 

Q.実際にラグビー部に入部してどうでしたか?

 

A.体格こそ大きい方でしたが、未経験からスタートで大人しい性格だったこともあり、1年生は練習についていくのが精一杯でした。タックルなどのコンタクトを一から教えてもらいました。変化が大きかったのが学校生活に対する姿勢です。ラグビー部に入って強豪チームならではの伝統や何事にも全力で取り組むのが当たり前の文化の中で、そういった姿勢が自然と身に着いたのかなと思います。こういった姿勢で生活するようになり人間的にも成長できました。結果的に2年生のときには国体選手に選ばれ、3年生のときにチームのキャプテンになりました。

 

Q.どんなキャプテンだったんですか?

 

A.口数は少なく行動で示すタイプだったと思います。言葉で鼓舞するよりかは、自分が真面目に取り組む姿勢や行動を見てもらう。そんなキャプテンでした。またチームのみんなが伸び伸びプレー出来るように良い所を見つけて褒める事を意識して環境作りも意識しました。当時タイヤ引きというメニューがあって練習後に50m往復を10本~20本くらいはやっていましたね。トラックのタイヤにロープをひっかけて腰に巻いて走るんです。おかげでレッグドライブ(相手に掴まれた状況で足をかき前進し続けること)が強くなりました。

タイヤ引きを続けた高校時代

Q.高校3年生のときは花園(全国高校ラグビー選手権)に出場されたんですよね?

 

A.はい。ただ、僕たちの学年は当初最弱と呼ばれていました。富山第一高校は県内で勝ち続けるチームでしたが、大会で勝てない事が多く、高校3年生の春期大会では初戦敗退をしてしまいました。その時、全員がこのままではダメだと強く認識しました。練習時間も長くなりかなり追い込みました。春期大会の1ヶ月後に行われた高校総体の初戦で負けたチームに大差で勝ちました。その試合を皮切りにチームは波に乗り花園出場を決め、創部初の1回戦突破しました。

 

Q.高校ラグビーでの一番の学びは何ですか?

 

A.感謝の気持ちを持って謙虚に全力で取り組む大切さですね。ラグビーを始めてからこういった姿勢が身に着き、人間として成長出来ました。花園出場を決めた後から地元テレビの取材などの機会も増え、周りからチヤホヤされることもありましたが、常に周りの人への感謝の気持ちを忘れずに普段から過ごすことが増えました。

 

Q.大学でもラグビーをされていたそうですが、どんなラグビー生活だったんですか?

 

A.はい。愛知学院大学でラグビーを続けました。良くも悪くも色んな変化がありました。まずはポジションの変更です。高校まではプロップをやっていましたが、大学ではNo.8にコンバートしました。それに伴って求められるスキルや運動量も変わり、より走り込むようになり体つきも変わりました。1年生のころから少しですが試合に出場する機会もあったんですが、1年生の終わりに身内の不幸がありラグビーに専念できなくなりました。2年生の頃もメンバーとして試合に出場していましたが、ラグビーを続けるかどうか迷った時期もありました。高校時代から自分のことを応援してくれている人たちのことを思ったときにやはり自分がラグビーをすることで恩返ししようと一念発起しました。そんな矢先、腰のヘルニアを発症しました。

大学時代

Q.ここまで聞いているとかなりハードな大学生活ですね。どうやって乗り越えたんですか?

 

A.色んな方向から思うようにいかない事が続きかなり落ち込みました。腰に関しては痛みが強く自宅で寝たきりになることも何度もあり、身体の慢性的に強い痺れの痛みは想像以上に大きなストレスを感じました。大学3年生は試合に強行出場と離脱を繰り返しており、ラグビーボールに触れる機会も減りました。ただこのままでは終われないという想いがあり、グラウンドで活躍できない期間はウエイトトレーニングに打ち込みました。4年生で必ず活躍すると決めて徹底的に体を追い込みました。ウエイトトレーニングとランニングの量を増やし運動量とフィジカルでチームに貢献しようと思いました。結果的に4年生では愛知県学生選抜にも選ばれ、シーズンもレギュラーとして戦い抜きました。最後の試合が終わったロッカールームで自分のラグビー生活はここで終わりにしようと強く決めました。

Q.大学卒業後はどのように過ごされていたんですか?

 

A.怪我のこともありラグビーからは離れました。ただ、身体を鍛えることは続けました。なぜかやめられなかったんです。ランニングやトレーニングが好きというか、気持ちがスッキリして一日を全力で過ごせる気がしました。社会人になってからも毎日トレーニングやランニングを続け、特にのめり込んでいたときは一人ハーフマラソンを行うなんてことも…。(笑)仕事に関しては今、外資の金融機関でお客様と全力で向き合っています。私に任せて頂けることが本当に嬉しく今まで以上に周りの方に感謝の気持ちを大切にするようになりました。

Q.ラグビーから離れてから6年程経過してGpassioners入部してどうでしたか?

 

A.元々軽い体験のつもりで参加したんですが、自分のラグビーへの想いに再び火をつけられました。やるか、めっちゃやるかという考え方にもすごく共感しました。実はこの言葉と出会ってラグビーに再び没頭するようになってから普段の仕事にもプラスの影響が出ました。何か意識的に自分で変えたわけではないんですが、話し方や取り組む姿勢など以前よりも力強さが増したと思います。お客様からも「情熱を感じるね」と仰って頂く機会も増えました。

 

Q.これからさらに挑戦していきたいことはありますか?

 

A.このGpassionersをもっと多くの人に知ってほしいですね。熱いメンバーが全力で取り組む姿を見て、私の周りの方や地域の方やたくさんの企業に応援して頂くのがGpassionersだと思います。私たちのことを応援してくれている人に「やるか、めっちゃやるか」の価値を届けたいですし、そういった方々に常に感謝の気持ちをもって色んなことに取り組みたいです。個人的には自分の強みであるフィットネス・フィジカルで常にチームの基準を上げていきたいです。

 

 

Q.色々とお話ありがとうございました。濱名さんのお話を聞いていると人生を通して「やるか、めっちゃやるか」で生きているなと思ったんですが、濱名さんにとって「やるか、めっちゃやるか」とはなんですか?

 

A.自分の中で出来ることを精一杯取り組む。それですかね。できなくても自分ができることを精一杯行う。それを続ければこれまでの自分では見れなかった新しい景色が見られる。僕はこう思っています。できるできないで考えない。やりぬくことが僕が思う「やるか、めっちゃやるか」です。

話を聞いた人:濱名健太(はまな・けんた)

1993年生まれ、富山県出身。富山第一高校でラグビーを始めた。恵まれた体格を武器にチームの誰よりも自らを追い込む努力が重なり、高校では国体に選出される。主将としてチーム史上初の花園1回戦突破を経験。愛知学院大学進学後は怪我に悩まされながらも4年生で愛知県選抜に選出される。大学卒業とともにラグビーから遠ざかるも真剣にトレーニングを継続。メンバーに誘われたGpassionersの練習に参加する中で、再びラグビーをやることを決意。情熱を測る入団セレクションを通過し2022年6月よりGpassionersに入部。

 

  • 関連記事
  • おすすめ記事
  • 特集記事
PAGE TOP