愛知県瀬戸市を拠点に活動する、世界一情熱的なラグビーチーム「Gpassioners」。このチームのGOALは3年でリーグワン参戦。2021年10月13日のチーム創設と同時に開催された第一回セレクション。良知俊輔はそのセレクションに通過し、メンバーとなった。会社員との両立でチーム活動に参加してきたが、2022年10月退職を決意。「もう一度人生が燃え滾るようなことに挑戦したい」と語る良知。今回の決断に至るまでの流れや、彼自身の生い立ちを伺った。(インタビュアー:岡田淳)
岡田)今日は俊輔の新しい挑戦について話を聞かせてください。まずは、これまでの人生について色々と教えてください。高校生までの簡単な経歴をお願いします。
良知)静岡県の焼津生まれです。8歳のときに親の転勤で名古屋に来てから、ずっと愛知県に住んでいます。中学校まではサッカー部に所属しており、高校から弓道部に入りました。
岡田)弓道部!めずらしいですね。そこからどうやってラグビーと出会ったのですか?
良知)弓道部を半年ほど続けて初段まで取りました。弓道自体には面白味を感じていましたが、同級生と上手くいかず、競技そのものにも集中できなくなり1年生の途中で退部しました。そこから1ヶ月くらいしてから無性に身体が動かしたくなり、他の運動部に入ろうかなと思いました。
岡田)色んな部活がある中でラグビーを選んだのはどうしてですか?
良知)当時色んな部活がある中でラグビー部が異彩を放っていました。異彩と言っても強豪チームという訳ではなく、人数も15人ギリギリなのにめちゃくちゃ頑張っていました。試合をしても70点、80点差を付けられることもありましたが、それでも絶対に諦めない姿勢を貫く、そんなチームでした。僕はそこに魅力を感じていました。そこからすぐに試合があり、顧問の先生に人数合わせとしてメンバーに入れてもらいました。試合まで2週間しか準備期間がありませんでしたが、とにかく一度やってみようと思いました。
岡田)実際に試合を経験してどうでしたか?
良知)「なんだこのスポーツ」と思いました。80点差以上つきましたが、悔しさ以上に驚きがありました。試合中に思いっきりタックルされ、正直痛かったですけど、それ以上に、この新鮮さに興奮している自分がいました。そして何より自分の弱さに気づきました。ラグビーを初めて2週間。身体も細いしチームで一番ヘタ。だからこそ、ここから上手くなってやろうという気概に溢れていました。
岡田)今の俊輔と変わらないなと感じました。高校時代のラグビーを通じてどんなことを学びましたか?
良知)自分が怖いと思う世界に飛び込む感覚を得ました。当時ガリガリでとてもコンタクトスポーツをやるような体型ではありませんでしたが、その状況でもまずは飛び込んでみました。そうするとだんだん上手くなってきて試合でも活躍できるようになり、身体も大きくなってきました。この経験から、自分が怖いと思う方へ飛び込んだ先には新しい世界が見えてくることを学びました。そして、やればできるという自信につながりました。
岡田)まず飛び込んでみるっていいですね。俊輔の自信はそういう経験から来ているのですね。高校卒業後、大学でもラグビーをやっていたと聞きましたがどんな感じでしたか?
良知)1年間の浪人生活の末、県内の大学に通うことになりました。浪人中は勉強しかしなかったこともあって、入学してすぐにバドミントンやレクリエーション系の3つのサークルに入り遊んでいました。入学してすぐのGWが明けた6月に一度友達にラグビ―部の試合に誘われました。その試合を見て、やっぱり自分もラグビーがしたいなと思い、すぐにサークルを辞め入部を決めました。
岡田)やっぱりラグビーから離れられなかったんですね。大学でのラグビーはどんな感じでしたか?
良知)1、2年生のうちはすごく楽しかった。先輩の人数も多くチームに活気があり、そんな環境でのびのびプレーできていました。ただ、上級生になると部員数自体が少なくなり、15人揃うのがやっとの状況になりました。さらに自分がチームのリーダーとしての役割をになっており、使命感を強く感じることが増えました。そんな中でも唯一試合だけは楽しかったです。コンタクトの瞬間に滾る自分が大好きでした。
岡田)そうなんですね。大学ではラグビー以外に何か経験しましたか?
良知)4年生の11月でリーグ戦が終了しました。その後に休学をしてオーストラリアへ渡りました。卒業を控えた中で自分の中にこのままの自分では満足できないという思いがありました。さらにたまたま地元の友達がオーストラリア留学から帰ってきたタイミングで、会った時にすごく変化を感じました。自信に満ち溢れていたのがかっこよかったです。自分も海外生活を経験してみたいと強く思うようになりました。
岡田)実際にオーストラリアではどんな生活でした?
良知)多くの人がイメージする華やかな留学生活とは程遠いものでした。実は交通費などを抜いて10万円しか持っていきませんでした。なんとかなると根拠のない自信だけはありました。味のないパスタを食べて、シェアハウスに住んでいましたが自分はシングルベット分のスペースしかない部屋に住んでいました。でもそんな状況がとても楽しかったです。
岡田)やっぱり俊輔って変わっていますね。いい意味で笑。たしかそのくらいの時からコロナが流行り出したと思いますが、大丈夫でしたか?
良知)そうなんです。2020年の1月ごろから世界でコロナウイルスの感染が拡大しました。特にオーストラリアは政府の判断で大規模なロックダウンとなりスーパーマーケットへ行っても食材が買えないなんてことになりました。当時働いていた日本食レストランも閉鎖になり、仕事がなくなりました。どうにかして残ろうとしましたが、日本への飛行機も飛ばなくなるという話も出てきたタイミングで帰国を決めました。すぐに騒動も収まると思っていたので、もう一度来たらいいくらいの感覚でした。
岡田)帰国してからは何をしていたんですか?
良知)2020年の3月末に帰国してからは色々やりました。時間があるので手当たり次第に新しいことを始めました。特に印象に残っているのは、障害者施設でのアルバイトです。ごはんや入浴、トイレの介助、レクリエーションなどをしました。このときの経験を通じて自分にはまだまだ知らない世界があるんだなという思いと、自分の中の先入観や固定概念みたいなものに気づかされました。さらにこの時期から大学の授業が楽しくなりました。残された学生生活を考えると、前向きに取り組まないと損だなと感じるようになりました。
岡田)大学を卒業してからはどんな生活でしたか?
良知)2021年の7月から就職しました。明確にやりたいことは見つかっていない状況でしたが、一度社会へ出て働いてみようと思いました。
岡田)そのくらいのタイミングでGpassionersが創部されましたが、知ったきっかけはなんだったんですか?
良知)SNS広告で流れて来たんです。「やるか、めっちゃやるか」の文字が大きく画面に表示されていました。特に気なったのがメンバーが揃う前から1年後の7月9日の試合、それも昨年度クラブラグビー全国優勝しているチームとの試合が決まっていることでした。でも正直このときは仕事になれてきたこともあり、何か始めたいなという思いがあり、愛知県で活動できるからとりあえず行ってみるかくらいの考えでした。
岡田)実際に2021年10月に開催された第一回セレクションを受けてどうでしたか?
良知)最初は普通のクラブチームと思っていましたが、全く違いました。セレクションで一切ボールを使わないんです。とにかく走りました。周りの参加者はラグビー経験者だけでなく色んな競技出身者がいました。みんなの必死な姿を見て、ここで落ちたくないと思い自分も必死で食らいつきました。
岡田)そういった気持ちで臨んでいたんですね。セレクションに合格後、実際に活動してどうですか?
良知)ラグビーに没頭できる環境が整っています。グラウンドも人工芝で、トップリーグで活躍していたコーチもいます。週4回の練習で、フィットネス中心の日もある。自分が想像していた以上にハードですが、自分にはこういった環境の方が合っています。練習以外にも、試合の宣伝でチラシを配るといった活動も新鮮です。3年でリーグワン参戦というGOALに対して色んな取り組みをしていることもおもしろいです。
岡田)7月9日に愛知教員クラブとのチャレンジマッチがありましたが、どうでしたか?
良知)試合が近づくにつれて緊張感が高まってきました。オーストラリアで味わったような燃え滾る感覚が蘇ってきました。どうやったら勝てるのか?とひたすら考えていました。試合1ヶ月前に手の甲を骨折しましたが、なんとか試合には間に合いました。
岡田)あの試合はゲームキャプテンとしてプレーしていましたが、どうでしたか?
良知)試合の日はめっちゃ緊張していました。ゲームキャプテンを任されたこともあって前日はあまり眠れませんでした。試合が始まると緊張感は消え、必死でした。久しぶりに試合の感覚を思い出しました。自身のプレーを振り返ると正直もっとできたなと思います。試合の流れについていくのが必死で、自分自身のことに必死で気づくと80分が終わっていました。
岡田)俊輔の緊張は伝わってきました。でも俊輔がキャプテンをやったのは良かったと思います。試合が終わってから、改めて海外へ行くという決断があったと思いますが、どういう変化があったのですか?
良知)オーストラリアから帰ってきたときに決めていましたが、いつかまた海外に行きたいという想いがありました。いずれ世界一周もしたいです。その想いがだんだん強くなってきました。仕事はいつかやめようと思っておりましたがなかなか決断できませんでした。
それで9月に入ってからは仕事をどうしようか考えすぎて普段のラグビーの練習に集中できない日もありました。ずっと自分の気持ちに噓を付いているような感覚でした。
岡田)今回の決断の決め手は何だったんですか?
良知)正直これといってないです。決めたからあとはやるしかないって思っています。迷っている時間があるなら早く決断して、どんどん進んでいきたいと思えたからです。それはGpassionersのメンバーを見ていても感じます。できる、できないで考えずに、やると決めてやる。めっちゃやる。そんな考えが僕の中にもあったので、自然とそうなりました。
岡田)これからどんなことをやっていきたいですか?
良知)今の職場を12月に辞めます。そして来年の春までには海外へ行きます。最終的には世界一周をしますが、まずはニュージーランドへ行ってラグビーをやりたいです。正直その後は決めていません。色んなことを経験した自分がまた何か新しい挑戦をしているはずです。ただ、何をするにしても自分は燃え滾っていたいです。やるか、めっちゃやるか。
岡田)最後に聞きたいんですが、途中で何度か「燃え滾る」というワードが出てきましたが、俊輔にとって「燃え滾る」とは何ですか?
良知)僕の人生のキーワードです。オーストラリアでギリギリの生活をしているときや、ラグビーをしているときに燃え滾っていました。生きるか死ぬかみたいなヒリついた状況がワクワクするんです。僕の中で自分が燃え滾っているか測るバロメーターがあるんです。ラップグループのMOROHAの歌詞が心に刺さっているときは燃え滾っています。逆にMOROHAの歌を聞いてもピンと来ないときは燃え滾ってないんですよね。だからそういうときは自分を滾らせる何かを常に探しています。今回のニュージーランドへ行く決断をしてからまた燃え滾る感覚が蘇ってきました。これからもさらに燃え滾るような人生を送るための選択をし続けたいです。
話を聞いた人:良知俊輔(らち・しゅんすけ)
1996年生まれ、静岡県出身。高校2年のときに弓道部からラグビー部へ転部。大学時代もラグビー部で活動した後、オーストラリアで過ごすために1年間の休学。ワーキングホリデーで一人オーストラリアへ。コロナの影響で日本へ帰国後、愛知県内の企業に就職。社会人生活を送る中で燃え滾るものを求めていた矢先、ネットで流れてきたGpassionersの広告に興味を持ち10月に開催された情熱を測る入団セレクションを通過し2021年10月よりGpassionersに入部。