世界一情熱的なラグビーチームの中心核 情熱クリエイター「岡田 淳」の生き様とこれから

愛知県瀬戸市を拠点に活動する世界一情熱的なラグビーチーム「Gpassioners」。2030年に世界のトップクラブチームとなるべく、「やるか、めっちゃやるか」を合言葉に熱く活動している。今回は、GpassionersのGMとして、組織運営や広報活動、人財採用からスポンサー営業まで幅広く活躍する岡田淳さんにスポットを当てる。(インタビュアー:松下 元重)

 

松下)まずは、生い立ちから幼少期、学生時代の淳さんについて教えてください。

 

岡田)大阪府堺市で育ち、小学校から高校まではサッカー部に所属していました。当時から目標は高く、キャプテン翼のように全国大会へ行くんだと、練習に励んでいましたね。ポジションはCB(センターバック)で、中学時代はキャプテンも務め、高校ではベスト16まで進みました。

 

松下)今の体格からは想像できませんが、熱いサッカー少年だったのですね。勉学はどうでしたか?

 

岡田)学ぶことも好きでしたね。知らないことを知ったり、分からないことが分かると楽しくて、知的好奇心は高かったと思います。要領よく真面目にやることや短時間で高い成果を出すことも意識していました。勉強法の本とか好きでしたね。あと、テスト期間になると友人を集めて勉強を教えたり、問題を解説したり、アウトプットする機会を作っていました。一人で勉強するよりも効率的だと考えていました。漫画のドラゴン桜を読みながら「俺は東大に行くんや!」って燃えていました。

 

松下)文武両道の素晴らしい学生ですね!淳さんにとって「勉強の魅力」「勉強の価値」は何ですか?

 

岡田)学ぶことで手段や方法を知ることができ、選択肢を増やせます。選択肢が増えれば、色々な仮説を立てて実行することもできます。やったらやった分だけ成果が得られるのも魅力ですね。親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もなくて、自分自身が「自ら選択すること」「自ら判断し決断すること」に強いこだわりがあるからこそ、インプットも主体的だったように思います。

 

松下)なるほど。ただ、進路は現役で東大ではなく、一浪して京大だった。

 

岡田)はい。現役で神戸大学に合格していたのですが、自身が望む進路ではないと感じ、1年間の宅浪(塾に通わない自宅浪人)を決断しました。当時は自然や水産にも興味があり、北海道や長崎の大学を目標に考えていた時期もあったのですが…

とある夏の日に同級生と再会して進むべき道が決まりました。

 

 

松下)具体的にどんな出来事だったのですか?

 

岡田)久しぶりに再会した同級生は物凄く体がデカくなっていて笑。何をやっているか聞いたら、大学でアメフトをやっているとのことでした。アメフトが強い大学ってどこなんだろうと調べていくと、どうやら京大が強いらしい。京大アメフト部のPVを見て、今までにない衝撃を受けました。アメフト未経験が80%の京大生が、アメフトエリートが集う関西学院大学や立命館大学と同じ舞台で戦っている姿や、狂気とも言えるタックルを繰り返す姿に惚れました。その日、俺は京大アメフトに行くために京大に合格する!と決意しました。余談ですが、実はこのとき僕が一本の動画を見て人生が変わったように、自分も人の人生を変えてしまうくらいのインパクトのある動画を作りたいと思ったことが、今の動画クリエイターとしての仕事にも繋がっています。

 

 

松下)自身の想いや直感に従って突き進む!いいですね!在学中はアメフトに没頭、学部は医学系で、正に文武両道を極めていたわけですが、社会人としての進路選択もクレイジーだったと聞いています。

岡田)大学2回生頃までは、大手商社に入って親孝行しよう、みたいなことを漠然と考えていたのですが、4回生の頃にチームビルドで外部コンサル(すごい会議/原田教育研究所)が入ったときに、経営者への興味や関心が高まりました。彼らの考え方や発想について、面白い、レベルが高いと感じましたし、お金の使い方も大胆で格好良かった。能力があり、知識や経験をもとに価値を創ることができる経営者に魅力を感じ、自分も成長環境に身を置きたいと考え、大手ではなく、東京のITベンチャー企業に就職しました。

 

松下)そのベンチャー企業は、何をきっかけに知ったのですか?

 

岡田)大学アメフトの先輩2人が勤めていたのがきっかけです。

先輩2人は同世代社会人のなかでも頭ひとつ抜けている印象で、いち早く能力を高めたいと思っていた自分にとって、この会社は最高の成長環境ではないかと感じました。実際にインターンへ参加したところ、予想は的中。インターン期間中に社員研修や机上教育を全て済ませ、若手社員が営業の最前線で大手の部長クラスと商談したり、100名規模の採用イベントを運営していました。一般的な企業では若手が経験できないようなことを平気でやっている会社でしたね。初任給が、インターン中の成績で激変するような熱い企業でした笑。例えると、インターン生は競走馬、先輩社員が馬主兼調教師で、めちゃめちゃ育成されるんですよ!笑
やるか、めっちゃやるかではなく、めっちゃやるか、めっちゃめっちゃやるかでしたね笑。

 

 

 

 

松下)最高の成長環境だったんですね笑。聞いてるだけでワクワクします!ただ、最終的には退職して新たな道へ進むことになる。

 

岡田)もともとは、数年間勤めて退職する予定だったのですが、2020年のコロナ流行で在宅業務が増え、1人で過ごすことが多くなりました。同時に「俺は何をやりたいのか」を考える時間が多くなりました。素晴らしい成長環境だった一方、自宅で何時間もテレアポし続けている自分に対して、違和感やモヤモヤが大きくなっていきました。気付いたら2hほど散歩している時もあり、これはヤバいと、大学時代の先輩にも相談。この心理状態で仕事を続けても成果は出ないし、継続する理由はないと、退職を決断しました。

 

 

松下)退職後の進路は特に決まっておらず、自分と向き合う日々が続いたとのこと。そのなかで、四国お遍路へ向かうのですね。(四国お遍路:https://88shikokuhenro.jp/ohenro/

 

岡田)忘れもしない2020年の5月ですね。とりあえず仕事をやめて無職、やらなければならないことも特にないなかで、漠然と「徳を積もう」と考えました。ただの無職ではなく、充実した無職になってやろう、自分のやりたいことを見つけようと。祖父の家が高知県にあったこともあり、四国お遍路をやろうと決めました。気づいたらAmazonでリュックやグッズを買い揃えていて、2020年6月10日にお遍路へ出発しましたね。

 松下)どんな旅でしたか?何を感じましたか?


岡田)ひたすら歩き、考える日々でした。毎朝4時~5時頃に起床し、歩き始めるのですが、午前中は日差しがあって明るく、気分も爽やかで楽しいんです。地域の方々や遍路修行者の方々と触れ合い、互いのことを共有したり語り合うのも楽しかった。疲れたらメシ食って昼寝して、また歩き出すんですが、午後になると何となく憂鬱になるんですよね。自分の知人、元同僚、アメフトの旧友達は、今頃懸命に働いているだろう。ただ漠然と歩いている俺は何をしてるんだ。歩いていてもやりたいことなんて見つからない、人生そんなに甘くない。貴重な20代のいまを無駄にしている、人生の選択肢を間違えた、俺は親不孝者だ。歩き始めて約30日、愛媛県に入るぐらいまで、そんなことが頭のなかを埋め尽くしていましたが、あることがきっかけで吹っ切れました。

松下)何があったんですか?

 

岡田)たまたま出会った遍路修行者から「歩くのがとても速い修行者がいる」「一般的に1日の歩行距離は20~30kmだが、その修行者は50km歩ける」「そんなに速く歩けるなんてすごい、羨ましい」という話をされました。その話を聞いたときに「マジで、どうでもええやん!」と感じたんです。そもそもお遍路は、お大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが目的であり、方法や手段も自由です。ゆっくり歩いてもいいし、速く歩いてもいい。時計回りに歩いても反時計回りに歩いてもいい。一回帰宅してからチャレンジしてもいいし、バスや車や自転車で巡る人もいる。野宿する人もいるし、ホテルに泊まる人もいる、何もかもが自由なんです。お遍路は、八十八ヶ所霊場を巡るなかで、自分自身が何かを見つけることができれば、それでいい。にもかかわらず、自由であるにもかかわらず、他者と比較するマインドが存在することを知り、強烈な違和感を覚えたんですね。自分の人生を他人と比べて、何の意味があるのかと。人生に置き換えると、何歳で年収いくらとか、どんな会社に勤めていてどんな肩書きなのかとか、どうでもいい。人と自分を比較することに何の意味もないと、真に肚落ちした瞬間でしたね。人生一回きり。誰に何と言われようとも、自分の納得のいく人生を進む。そう確信することができてからは、吹っ切れましたね。

 岡田淳You-Tube
新卒入社した会社を辞め四国一周した49日間の記録

https://www.youtube.com/watch?v=88FhZ2b6x00

松下)お遍路後は、様々な業種をリサーチして、最終的にはコーチングとジム経営を行う企業に就職。名古屋ジムの事業責任者として赴任したのをきっかけに、Gpassionersを知ることになります。最終的には同社を退職され、Gpassionersの選手兼GMとしてジョインするわけですが、Gpassionersに加入された一番のポイントは何でしょうか?

 

岡田)できる,できないで物事を考えない、やりたいからやる、没頭してやり倒す、人生なんでもあり、やるか、めっちゃやるかマインドに魅力を感じたところですね。あと、組織をゼロから作ることができる、その経験ができることも魅力でしたね。

松下)Gpassionersのチャレンジマッチをきっかけにご結婚され、瀬戸市と他県での二拠点生活もスタートしました。淳さんを取り巻く環境は、日々鮮やかに移り変わっていますが、今の想いや今後の抱負を教えてください。

 

岡田)妻の実家は山奥のさらに奥地で、自然に溢れるというか、自然しかない素晴らしい環境です。朝起きて犬の散歩をして、山菜やきのこを採ったり、山々に囲まれた湖に氷が張ったときは氷上でラーメンを作って食べたり、大自然と時間を存分に楽しんでいます。幼少期、高知の田舎で釣りをしたり、カエルを捕まえたり、虫網を持って走り回った時と同じように、川のせせらぎや鳥の鳴き声に触れながら過ごす時間は格別です。

Gpassionersの活動においては、選手を卒業したいと思います!

松下)マジ?!笑

岡田)Gpassionersにおいて、自分が最も楽しく、やりたいと思える領域は、情熱的にチームが活動している様子を多くの人に届け、仲間やファンを増やしていくことです。

昨年のリーグ戦では、残念ながら結果を残すことができず、自分の組織作りは失敗だったと感じています。チームの成長と拡大を目指して試行錯誤を繰り返してきましたが、このままでは、「世界一情熱的なラグビーチーム」にはなれないと感じています。Gpassionersはやるか、めっちゃやるかの組織です。だからこそ自分は、Gpassionersに加入する際、中途半端に関わらないと誓いました。自分のやるべき領域を絞り、そこに力を尽くしたいと思います。今後は選手を卒業し、チームの宣伝と組織作りに振り切ります!

 

 

松下)受け取りました。淳さんの決断が全てです。引き続き、熱くやりましょう!

岡田)やるか、めっちゃやるか。Gpassionersの認知拡大に没頭します!

 

 

話を聞いた人:岡田 淳(おかだ・あつし)

1994年生まれ、大阪府出身。小学校から高校までサッカー部に所属。大学浪人中に見た「京大アメフトPV」に衝撃を受け、京大アメフト部に入ると決意する。京都大学に進学、大学時代はアメリカンフットボールに没頭する。卒業後は、いち早く自身の能力を高めたいとの思いから、裁量権のあるITベンチャーへ就職するも、1年で退職。自身の生き方や針路を模索するなかで「四国お遍路」「ユーラシア大陸横断」など、独特な「ひとり旅」を自ら計画し、実行する。Gpassioners元メンバーの長畑遼氏をきっかけにGpassionersを知る。チームマインドやゼロイチの組織作りができる環境に魅力を感じ、情熱を測る入団セレクションに参加。2022年2月にGpassioners加入。

 

 

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